花粉症で春を知る

 

 

 

 

 

死ななきゃ、生きなきゃ、働かなきゃ、人間こわい、お見舞いに行かなきゃ、行きたくない、生きたくない、死ななきゃ。

 

これをずっとループしてる。

 

後ろ向きと前向きをずっと交互に行ったりきたりして、ずっと前に進めずにジリジリ下に落ちている。こんなに何もしていないのに不意にわたしは家族に嫌味を言ってしまったりして、何の生産性も無いくせに人を傷つけようなどと、なんとおこがましく無意味以下なものだろう。自己嫌悪に至る。

 

 

良い人間であろうとした。

正義とはいかなくとも、せめて善悪の判断がつく、善良な人間であろうとした。

結果、この世の中には悪の方が多いことを知る。良い人間は、悪い人間に容易く使われてしまう。頭が悪いからだといってしまえばそれで終わりかもしれないけど、そうではない。圧倒的に悪い人間の方が悪いじゃないか、騙される方が悪いなんて、いじめられる方が悪いなんて、そんなことがあるか。どうして、そんなふうにできてしまっているのか、人間は。

 

どんなに環境を変えても、職場を変えても、悪い人間はそこらじゅうにいて、良い、優しい人間は、仕方ないと、笑って、損を請け負って、泣いているのに。

そんな良い人間が、なんで救われない世の中なんだろうね。

 

 

 

「世の中が悪いって人のせいにするのか」

「結局は自分のせいだ、お前の人生だ」

「それでも頑張っている人はいる」

 

 

これを死ぬほど聞いてきた。

これを言える人間は、その言葉の頭が口から出た瞬間から強い人間で、世界の見え方が違う人間だ。理解する気なんてさらさら無いくせに、理解しろ、さもなくば見捨てる、と言っているようなもの。

 

 

だけど、言っていることは、正しいのだろうと思う。

人のせいにすることは良くないし、頑張っている人がいるのも事実だし。

 

だからといって、他者にそんな言葉を投げる人を、良い人間だとは思わない。

 

「奮い立たせる為に言った」

「善意から言った」

 

と言うのかもしれない。もしくは前置きとして使うのかもしれない。

 

「キツいことを言うようだけれどね、」

 

とかなんとか言って。

 

 

たしかに人生は自業自得の自己責任だ。

だから、誰かの言葉が人を動かすことは、無いのだ。

いや、無いことは無いけど、少なくとも世の中に傷ついて良い様に利用されてきたと思っている人間は、こんなクソみたいな言葉で動かないし奮い立たない。馬鹿にするな。これ以上なんで傷つける様なことを言うんだ。わたしは悪くないみたいな顔をして。

 

 

 

だからわたしは人間がこわい。

容易く悪気なんてなかったと言ってしまえるからだ。