アカウント消して仮想自殺リスカ然り

 

 

 

 

Twitterアカウントを消して仮想自殺した。

もちろんリスカもした。

 

他者に感情をぶつけられて、どうしようもなくて死にたくなったからだ。さようなら、ネットのわたし。せめてお前だけでも殺してあげる。殺してあげられる。衝動的にビルから飛び落ちて何もかもめちゃくちゃにしてやりたいけど、それは雨だからできなかった。それは田舎で高いビルがそうそうないからできなかった。そんな言い訳で。さよなら。

 

 

でもさ、知ってた?Twitterアカウントは30日以内なら復活できるの。生き返るんだよ。すごいよね。仮想自殺にはもってこいだよね。ウケる。

 

 

腕をまた傷だらけにしてシピシピ痛む腕を愛おしく、流れる血を煩わしく思う。

低気圧で頭は痛く、吐きそうだし生理で腹痛、満身創痍。ああ、肉体から解脱したい。

どうしてうまくいかないんだろう、やっぱりわたしはうまくいかないのがデフォルトなんだろうな、悲しいけどお似合いだ。

 

 

 

 

 

 

未練

 

 

 

 

 

この世の未練として、一番は祖父だった。

わたしが自殺したら一番に悲しんで、一番に悔しくて一番に生きていく気力を無くしてしまいそうだった。

そんな祖父が亡くなった。事故みたいなあっけない死に方だった。死に目には会えなかった。痛いつらい思いをしていないといいなと願う。

 

 

花が好きな祖父だった。

だからよく花を贈った。祖父が見たことない花だ、とてもきれいだと喜ぶ姿が嬉しかった。

亡くなった今でも花を仏壇に贈っている。祖父が好きな薔薇も、祖父がまだ見たことなかった花も贈っている。棺桶の寂しいけど綺麗な花じゃなくて、わたしが選んだ珍しい花を贈っている。

 

 

そんな未練がない今、けれどわたしはしあわせで、死にたいなんて頻繁に思う暇がないくらいしあわせで、ああ、それを祖父に伝えておけばよかった。ウェディング姿もひ孫も見せてあげられない孫だったけど、出来る限り愛を愛で返してきたつもりだ。

 

きらきら輝く無敵の魔法をあびていた幼少期のわたしを大事にしてくれた数少ない人。

死にたいのに無理して笑って死にたくなんかないみたいな顔をしていたけど、本当の本当は死にたくてたまらなかった。どんな時も。

でも死ねなかったのは、勇気がなかったのもあるし、一番悲しむ祖父のことを思ってだった。

そんな祖父がいないのに、わたしはもう死にたいと頻繁には思わないなんて、なんて皮肉だ。悲しい皮肉だ。

 

 

 

けどふと、しあわせに疑問を感じるときもある。

いつまでもふしあわせに浸ってきたわたしだから、しあわせなんてお似合いじゃなくて、それはそれは惨めだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブロみ、解禁

 

 

 

 

 

ブロン解禁した。

なんかもう最近がんばりすぎて嫌になりそうだったので元気の前借りをした。

いま絶賛薬切れの鬱。死である。

 

わたしはブロンを使って時間を早送りにする。ちょっとだけ(体感的にはかなり)時間が早くなる。けどその分ミスも増えそうだし、記憶の欠如はあるからオススメしない。

仕事で研修の毎日で、嫌になりそうだった。嫌になる、一歩手前くらい。

ミスもしちゃってダメダメな精神になったから時間を早送りにして、気持ちもフワっとさせといた。その場凌ぎだけど。

精神落ち込んで他人に迷惑かけるよりいいか、と思う。

 

なぜそんなにがんばりたいかはわからない。

今の職場の人間関係が良いし、仕事も楽しいからかもしれない。必要とされているみたいに感じるし。

こうやってしか進めない自分を愚かで悲しく思う。けど進んではいるので。まあなんとか。

 

 

 

ブロンでなんでもできそうな気になれれば仕事も人も怖くないし。無敵スター状態。

代わりに喉の乾燥、渇きと、微妙な吐き気、体の痒み、その後の鬱。

 

人にはオススメしないけど。中毒化するし、コスパ悪いし。

 

 

 

 

あー、眠くなってきたな、おやすみ。

みんなは良い夢を見てね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぜったい

 

 

 

 

 

 

なんとかなるよ、ぜったいだいじょうぶだよ。

という言葉をお守りに戦っていたカードキャプターさくらを、いま思い出してしんどくなっている。

なんということか。ぜったいなんてないのに自分に言い聞かせたり、人に言ったり、なんて強いことか。漫画のキャラだからといえば終わりだけど、なんとかなるかなあ、わたしはどうかなあ。

 

 

今、絶望的に精神がダメで、落ち込んで、こたつにへばりついている。

化粧だって落としてない。お風呂もまだ入っていない。やるべきこともやっていない。なんてダメな人間なんだろうか。ゴミだ。

 

 

不意に世界がわたしに優しくない気がした。

不意に人がわたしに優しくない気がした。

さっきまでちゃんと優しさの中にいたのに。

 

 

魔法のカーテンの中にいたのに、知らない間にそこにわたしはいなくて、魔法のカーテンの裾すら見つけられなかった。

魔法が解けてしまったのが明白で、優しさがたしかにあるのを目の当たりにしても、上滑りして吸収できない。

どうしちゃったんだろうね。

 

でもまた魔法のカーテンの中に入れるように、わたしはがんばろうと思う。

多分、がんばるのをやめてしまったから、やめそうになってしまったから、魔法のカーテンから追い出されてしまったんだと思う。ことにする。なるべく前向きに。

 

 

 

 

 

 

なんとかなるよ、たぶん、だいじょうぶだよ。

 

 

しんぷるに、しにた

 

 

 

 

 

 

なんか最近調子良いのに、調子悪くなるのがこわくてシンプルに死にたい。

幸せってその先に不幸せがあるから嫌だ。しんどい。別に特段幸せなわけではないけど。

 

 

秋って本当に嫌だ。

すごく好きな季節だけど、誕生日が近いこともあって、死にたくて不安でたまらなくなる。

また今年も死にぞこなったのかと、死にたくなる。

 

 

 

例えば誰かと抱きしめ合って、体が離れた瞬間にそれは終わるみたいに、永遠は無くて、有限だから尊い。キスも同じなんでしょうね、わたしはキス苦手だしなんなら嫌いだけど。

幼少期、あまり抱きしめられたことがなかったから、抱きしめられる、抱きしめ合う、ということがしあわせで好きだ。その先に「しあわせがおわる瞬間」がやってくると知っていても、甘い蜜は吸いたいものだ。重力を感じるのが好きなのも、血圧を測るのが好きなのも、きっと抱きしめられたいからだ。

 

 

 

誰でもいいわけじゃない抱きしめられる、というしあわせは、稀であるからしあわせなのだ。

サンリオピューロランドでキティちゃんさんに抱きしめられたときのしあわせ指数は本当にやばかった。ハートが溢れちゃうみたいな。チャーム受けたみたいな。温かみと優しみとキティさんっていう存在感み。

 

だからサンリオピューロランドに行って、しあわせ指数をあげたい。

もしくは好きな人(いないしできないだろうけど)に抱きしめられたいな。あー無理だ。

 

 

 

 

 

叶わないから死にたい、まである。

ないか?