わたしの実家のリビングの窓からは目の前の山の木が見える。
一年を通して何かしら青々としている山。
小学生の日曜日のお昼頃、毎週毎週その山の木漏れ日を眺めながら、ぼんやりと吐き気を感じていた。何時間後かに迫った月曜日が始まるということは、学校の宿題も、大嫌いな学習塾の宿題も終わらせていなければならなかった。
晴れの日にはキラキラと輝いて風に揺れて綺麗な音を出す木漏れ日を眺めて、自分の内側から現実的な不快感が込み上げてくるのを泣きそうになりながら耐えていた。
「具合が悪い」と言えば、仮病だと思われて怒られるということを知っていた。
宿題やら勉強やらやりたくないことを考えたら気分が悪くなるなんて、今でこそ精神的なものだと分かるけど、「鬱病」が周知されていなかった当時には誰しもが「怠け者の仮病」だと決め付けてきた。
それでも動けずに吐き気を感じて、母親からついに「勉強しなさい。宿題は?」と言われるまでは、その時までは、目前にあるのに高くて届かないキラキラした木漏れ日を眺めていた。
きっとこのことを何年も忘れないだろうと願いながら。
たくさんの景色を覚えている。
美しい記憶の大半に祖父がいる。
まだ勉強も受験も生死にも悩んでいなかった、無敵の魔法がかかっていた子どもの頃。
お昼ご飯を食べてから夕方まで、よく散歩に行った。
ただただ近所を歩くだけ。山に入ったり、田んぼや畑を見たり、小川を見たり、空を見たり。
わたしが知らない草木の名前を祖父は何でも知っていたし、わたしが知らない雲の名前も祖父は何でも知っていた。
どの季節にも暖かい日差しがあって、涼しい風があって、きれいだった。
そしてどの瞬間も、きっとこの先何度も思い出すだろうと、少し悲しかった。
そして思い出した今日の朝も、少しだけ悲しくなった。